多様性
カテゴリー:マングローブ的生き方 『自分らしく生きる:分け隔てなく生きる』
前職で忘れたくないと思っていたこととして「自分で考える力」「謙虚な気持ち」「多様な立場への想像力」の3つだったと書いた。
今日は、「多様な立場への想像力」について。
【マジョリティー:マイノリティー】
「マジョリティー」と「マイノリティー」の違いが、意識や行動を変えるということがあるね。
マジョリティーとは多数派。マイノリティーは少数派。
日本語で言ってもいいようなものだけど、なぜか横文字のほうが市民権を得ているという不思議な言葉。
社会は、マジョリティーを中心に動いていかざるをえない。
パスモやスイカの自動改札は、右利き用にできているから左利きの人は不自然な体勢にならざるをえない。
駐車場の精算機なども、右ハンドル用にしかできていなくて、左ハンドルの車は、いちいち降りるか、助手席を越えて不自然な姿勢にならざるを得ない。
さすがに今は少なくなってきたけど、最近までの和風住宅の鴨居は、180センチ弱が定番だったし、バスの降り口も同様で、ボクなどは、しょっちゅう頭をぶつけていた。
これは効率上しょうがないこと。
マイノリティーの人は我慢するしかないんだ。
社会の中での典型的なマジョリティー:マイノリティーは、健常者:障がい者。
自治体や企業の努力でだいぶバリアフリーが進んできたとは言え、依然として圧倒的に健常者用にしかできていない場所は多いよね。
ボクの専門の雇用ということになると、雇用率が1%か2%かという世界で、マイノリティー中のマイノリティーだ。
これも社会の効率上しょうがないこと?
マイノリティーの人は我慢するしかないってことだよね。
【職場でのマイノリティー】
職場でのマジョリティー:マイノリティーの典型は、勤務形態の違いだね。
・ワーキングマザー
・親の介護をしながらの勤務
・障がい者
・共働き
・高齢者
・パート、アルバイト
社会の中でも効率上マイノリティーが我慢せざるをえない構造になっているわけだけど、利益を追求する企業組織の中では、その状況はもっとはっきり出てくる。
最大利益を追求するためには、限定的な勤務形態の人は排除したほうが効率的だし、単純な作業は切り分けて、時給の安い労働力に切り替えるほうがコストダウンになる。
経営者がそう考えるのは当然のことだ。
究極まで効率化して、利益体質を極めていかないと競争社会の中では生き残っていけないから「しょうがない」ってことになるんだよね。
その延長上で、障がい者を職場から隔離する「特例子会社」というすごい考え方が生まれる。
法定の雇用率(1.8%)をなかなか守れないので、障がい者だけを雇用する会社を設立してその雇用人数は親会社の障がい者雇用としてカウントして上げようという仕組み。
雇用数を増やしていくことにはつながっていると思うから、いいとは思うんだけど、なんか違和感があるんだよなあ・・。
CO2削減ができない国が、排出量取り引きでつじつま合わせよう(オフセット:相殺の考え方)、というのとどっか似てる気もするし、結局面倒なことはどっかに寄せて、誰かに任せちゃおうってことだとボクは感じちゃうんだよな。
「ダイバシティー」や「ワークライフバランス」などという言葉ができてきて、雇用の問題は、すぐにブームの中で語られるようになっちゃうんだけどね。
【生物多様性】
地球をガイアと称して、一つの壮大な生命体として見立てるという考え方がある。
そこには何十億年の歳月をかけて出来上がった絶妙なバランスが成立しているわけだよね。
無数の生態系が集まって地球という球体を形作っていて、その絶妙なバランスが崩れる時にさまざまな問題が起こる。
絶妙なバランスを作り上げている、その無数の生態系を成り立たせているのは「生物多様性(Biological Diversity)」だ。
この頃ボクが思うのは、企業という組織・コミュニティが、単なる物を生産したり、売ったり買ったりという「機能体」としてだけではなく、今や「生命体」としての要素を持ってしまったと考えるべきなんじゃないかということだ。
それはなぜかというと、「機能体」でありながらも、実は生活の半分以上をそこで過ごす生身の「人間の集まり」だから。
乳飲み子が、両親を皮切りとした様々な人と人の接点の中で影響を受け成長していくように、企業というコミュニティに放り込まれた、乳飲み子ならぬ若者たちも上司を皮切りとした様々な人と人の接点の中で影響を受け成長していく。
この「様々な人と人の接点」というものが、多様であればあるほど人間的成長につながり、これがモノトーン、ステレオタイプであればあるほど、機能としては発達しても生命としてというか、人間的成長は危ぶまれる、というのが仮説だ。
【多様性への想像力が人を育てる】
業績第一、効率第一で、マネジメントしやすい人だけを集めていくと、一時的には生産性が上がるのは間違いないんだけれども、長い目で見て持続可能かどうかという観点では、よく考えてみる必要があるよね。
ボクが、職場に「多様性」が必要だと考えている一番の理由は、「マイノリティへの想像力が人を育てる」という考え方をしているからなんだ。
ビジネスの基本は、自分以外の人への「想像力」だとボクは思ってるんだけど、こうした力を磨くのってかなり難しいんだよね。目に見えないものだから。
顧客が何を望んでいるか?世間の人が何を買いたがっているか?今、主婦の人たちの困りごとはなんのか?商売の基本である「ニーズ」をクリアにしていくのにまず必要な能力は「想像力」。
こうした能力を磨くのに一番の近道は、多様性の中に身を置くっていうことだと思うんだ。
ボクが元いた企業グループはどちらかというと、業績第一主義、結果主義で、ともすると多様性とは対極の風土になりがちだった。
そんな中で、ボクが恵まれていたのは、正にマイノリティな人たちと仕事をすることが多かったということだと思っている。
色んな立場の方々への想像力を養うことができる立場にいたことは、ありがたかった。
・入社してすぐに、数十名のアルバイトの人たちと仕事をしていく立場になった。
・総務部で警備員や清掃員などの、人生の大先輩と仕事をする立場になった。
・障がい者雇用に関わり、直接の上司部下としても仕事をする立場になった。
等々・・・・。
いやはや、今日のブログもだいぶ長くなってしまった。
支離滅裂になってきて、まとまりがつかなくなってきたけど、書き直している時間がないので、見切りUP。
要は言いたいことは、マイノリティな立場の人への想像力を失わないで生きていこうね、ってこと。
それだけのことが言いたいのに、こんなに長々書いてしまったよ。
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前職で忘れたくないと思っていたこととして「自分で考える力」「謙虚な気持ち」「多様な立場への想像力」の3つだったと書いた。
今日は、「多様な立場への想像力」について。
【マジョリティー:マイノリティー】
「マジョリティー」と「マイノリティー」の違いが、意識や行動を変えるということがあるね。
マジョリティーとは多数派。マイノリティーは少数派。
日本語で言ってもいいようなものだけど、なぜか横文字のほうが市民権を得ているという不思議な言葉。
社会は、マジョリティーを中心に動いていかざるをえない。
パスモやスイカの自動改札は、右利き用にできているから左利きの人は不自然な体勢にならざるをえない。
駐車場の精算機なども、右ハンドル用にしかできていなくて、左ハンドルの車は、いちいち降りるか、助手席を越えて不自然な姿勢にならざるを得ない。
さすがに今は少なくなってきたけど、最近までの和風住宅の鴨居は、180センチ弱が定番だったし、バスの降り口も同様で、ボクなどは、しょっちゅう頭をぶつけていた。
これは効率上しょうがないこと。
マイノリティーの人は我慢するしかないんだ。
社会の中での典型的なマジョリティー:マイノリティーは、健常者:障がい者。
自治体や企業の努力でだいぶバリアフリーが進んできたとは言え、依然として圧倒的に健常者用にしかできていない場所は多いよね。
ボクの専門の雇用ということになると、雇用率が1%か2%かという世界で、マイノリティー中のマイノリティーだ。
これも社会の効率上しょうがないこと?
マイノリティーの人は我慢するしかないってことだよね。
【職場でのマイノリティー】
職場でのマジョリティー:マイノリティーの典型は、勤務形態の違いだね。
・ワーキングマザー
・親の介護をしながらの勤務
・障がい者
・共働き
・高齢者
・パート、アルバイト
社会の中でも効率上マイノリティーが我慢せざるをえない構造になっているわけだけど、利益を追求する企業組織の中では、その状況はもっとはっきり出てくる。
最大利益を追求するためには、限定的な勤務形態の人は排除したほうが効率的だし、単純な作業は切り分けて、時給の安い労働力に切り替えるほうがコストダウンになる。
経営者がそう考えるのは当然のことだ。
究極まで効率化して、利益体質を極めていかないと競争社会の中では生き残っていけないから「しょうがない」ってことになるんだよね。
その延長上で、障がい者を職場から隔離する「特例子会社」というすごい考え方が生まれる。
法定の雇用率(1.8%)をなかなか守れないので、障がい者だけを雇用する会社を設立してその雇用人数は親会社の障がい者雇用としてカウントして上げようという仕組み。
雇用数を増やしていくことにはつながっていると思うから、いいとは思うんだけど、なんか違和感があるんだよなあ・・。
CO2削減ができない国が、排出量取り引きでつじつま合わせよう(オフセット:相殺の考え方)、というのとどっか似てる気もするし、結局面倒なことはどっかに寄せて、誰かに任せちゃおうってことだとボクは感じちゃうんだよな。
「ダイバシティー」や「ワークライフバランス」などという言葉ができてきて、雇用の問題は、すぐにブームの中で語られるようになっちゃうんだけどね。
【生物多様性】
地球をガイアと称して、一つの壮大な生命体として見立てるという考え方がある。
そこには何十億年の歳月をかけて出来上がった絶妙なバランスが成立しているわけだよね。
無数の生態系が集まって地球という球体を形作っていて、その絶妙なバランスが崩れる時にさまざまな問題が起こる。
絶妙なバランスを作り上げている、その無数の生態系を成り立たせているのは「生物多様性(Biological Diversity)」だ。
この頃ボクが思うのは、企業という組織・コミュニティが、単なる物を生産したり、売ったり買ったりという「機能体」としてだけではなく、今や「生命体」としての要素を持ってしまったと考えるべきなんじゃないかということだ。
それはなぜかというと、「機能体」でありながらも、実は生活の半分以上をそこで過ごす生身の「人間の集まり」だから。
乳飲み子が、両親を皮切りとした様々な人と人の接点の中で影響を受け成長していくように、企業というコミュニティに放り込まれた、乳飲み子ならぬ若者たちも上司を皮切りとした様々な人と人の接点の中で影響を受け成長していく。
この「様々な人と人の接点」というものが、多様であればあるほど人間的成長につながり、これがモノトーン、ステレオタイプであればあるほど、機能としては発達しても生命としてというか、人間的成長は危ぶまれる、というのが仮説だ。
【多様性への想像力が人を育てる】
業績第一、効率第一で、マネジメントしやすい人だけを集めていくと、一時的には生産性が上がるのは間違いないんだけれども、長い目で見て持続可能かどうかという観点では、よく考えてみる必要があるよね。
ボクが、職場に「多様性」が必要だと考えている一番の理由は、「マイノリティへの想像力が人を育てる」という考え方をしているからなんだ。
ビジネスの基本は、自分以外の人への「想像力」だとボクは思ってるんだけど、こうした力を磨くのってかなり難しいんだよね。目に見えないものだから。
顧客が何を望んでいるか?世間の人が何を買いたがっているか?今、主婦の人たちの困りごとはなんのか?商売の基本である「ニーズ」をクリアにしていくのにまず必要な能力は「想像力」。
こうした能力を磨くのに一番の近道は、多様性の中に身を置くっていうことだと思うんだ。
ボクが元いた企業グループはどちらかというと、業績第一主義、結果主義で、ともすると多様性とは対極の風土になりがちだった。
そんな中で、ボクが恵まれていたのは、正にマイノリティな人たちと仕事をすることが多かったということだと思っている。
色んな立場の方々への想像力を養うことができる立場にいたことは、ありがたかった。
・入社してすぐに、数十名のアルバイトの人たちと仕事をしていく立場になった。
・総務部で警備員や清掃員などの、人生の大先輩と仕事をする立場になった。
・障がい者雇用に関わり、直接の上司部下としても仕事をする立場になった。
等々・・・・。
いやはや、今日のブログもだいぶ長くなってしまった。
支離滅裂になってきて、まとまりがつかなくなってきたけど、書き直している時間がないので、見切りUP。
要は言いたいことは、マイノリティな立場の人への想像力を失わないで生きていこうね、ってこと。
それだけのことが言いたいのに、こんなに長々書いてしまったよ。
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