態度価値
【23日2回目の更新です。最初の『リストラ』もあります】
カテゴリー:マングローブ的生き方 『自分らしく生きる:人のことを優先する』
【態度価値】
心理学者のビクター・フランクルによれば、
生きるうえで「実現されるべき意味」として「創造的価値」「体験的価値」「態度価値」の3つがあるという。
「創造的価値」 - その人だけに与えられた果たすべき仕事。
「体験的価値」 - 自然や芸術への至高体験・誰かを愛することによって実現される価値。
「態度価値」 - 変えられない運命に直面したとき、その窮状にたいしてどのような態度をとるか。
そこに決定される価値
ナチの収容所生活でも決して生きる意味を見失わず、人間としての尊厳を持ち続けたフランクル。
彼を支えたものは、人生への「ビジョン」、「自分はどう生きるべきか」と思索し続ける姿勢だったとのこと。
『あらゆる人は、自らのこの運命に対してどんな態度を取るか、その運命をどう引き受け、そこから自分の人生をどう創っていくかを問われている』ビクター・フランクル
前回ブログに書いたような「会社がリストラせざるをえないような事態」になった時。
病気で余命何年とか何ヶ月、というような事態になった時。
絶体絶命の危機に、人間の真価が問われる。
【生きる意味】
この「態度価値」という言葉で、ボクはいつも、実家の父のことを思い出す。
父は二人目の父だ。
僕が6歳の時に死んだ父は今の父の兄である。
小さかった僕だが、父と母の結婚式のことを忘れることができない。
実家の大広間で、近所の人達に集まってもらっての祝言が行われた。
母と並んで座っていた父はずっと下を向いていて、畳が涙で濡れていたのだ。
子供心にも、それはうれし涙ではないように感じていた。
父は30歳そこそこで、まだ実家にいた。
祖父は昔ながらの頑固おやじで、有無を言わせず母の再婚を決めた。
母と男ばかり5人の子供の生活が急に父の双肩にのしかかった。
(祖父母も健在だったので、正確には一家9人の生活だ)
僕の中に、父が愚痴を言ったり僕ら子供にあたったり、という記憶はない。
怒られたこともほとんどないのだ。
黙々と働いている姿ばかりが父の記憶である。
請われれば民生委員や、農業指導員などの地域の役を二つ返事でこなし、地元の郷土芸能の復興に尽力し、貢献して来た父である。
そういう時代だったのだ、と言えばそれまでだが、父の生き方の中に僕は「“自分が何をしたいか”ではなく“どれだけ人のために生きられるか”」「頼まれごとにどれだけ応えて生きて行くか」という姿勢を感じていた。
文句一つ言わずに、目の前の運命を受け入れて、ボク達5人の兄弟にひたすら背中で語ってきた父。
この大いなる「態度価値」が、ボクが父を尊敬する所以なんだ。
「“自分が何をしたいか”ではなく“どれだけ人のために生きられるか”」
「頼まれごとにどれだけ応えて生きて行くか」
そういう生き方もある。
このごろの就職活動では「自分探し」とか「自分のやりたいことを探す」という言い方をよくする。
自分をよく理解して、やりたいことをやっていくことが成功の条件である。
そうとも限らないよね。
この偉大な父に、きっと一生追いつけないのだろう。
父に「本当は何をしたかったの」という質問はもう封印した。
【少人数制ビジネスセミナー:好評開催中】



カテゴリー:マングローブ的生き方 『自分らしく生きる:人のことを優先する』
【態度価値】
心理学者のビクター・フランクルによれば、
生きるうえで「実現されるべき意味」として「創造的価値」「体験的価値」「態度価値」の3つがあるという。
「創造的価値」 - その人だけに与えられた果たすべき仕事。
「体験的価値」 - 自然や芸術への至高体験・誰かを愛することによって実現される価値。
「態度価値」 - 変えられない運命に直面したとき、その窮状にたいしてどのような態度をとるか。
そこに決定される価値
ナチの収容所生活でも決して生きる意味を見失わず、人間としての尊厳を持ち続けたフランクル。
彼を支えたものは、人生への「ビジョン」、「自分はどう生きるべきか」と思索し続ける姿勢だったとのこと。
『あらゆる人は、自らのこの運命に対してどんな態度を取るか、その運命をどう引き受け、そこから自分の人生をどう創っていくかを問われている』ビクター・フランクル
前回ブログに書いたような「会社がリストラせざるをえないような事態」になった時。
病気で余命何年とか何ヶ月、というような事態になった時。
絶体絶命の危機に、人間の真価が問われる。
【生きる意味】
この「態度価値」という言葉で、ボクはいつも、実家の父のことを思い出す。
父は二人目の父だ。
僕が6歳の時に死んだ父は今の父の兄である。
小さかった僕だが、父と母の結婚式のことを忘れることができない。
実家の大広間で、近所の人達に集まってもらっての祝言が行われた。
母と並んで座っていた父はずっと下を向いていて、畳が涙で濡れていたのだ。
子供心にも、それはうれし涙ではないように感じていた。
父は30歳そこそこで、まだ実家にいた。
祖父は昔ながらの頑固おやじで、有無を言わせず母の再婚を決めた。
母と男ばかり5人の子供の生活が急に父の双肩にのしかかった。
(祖父母も健在だったので、正確には一家9人の生活だ)
僕の中に、父が愚痴を言ったり僕ら子供にあたったり、という記憶はない。
怒られたこともほとんどないのだ。
黙々と働いている姿ばかりが父の記憶である。
請われれば民生委員や、農業指導員などの地域の役を二つ返事でこなし、地元の郷土芸能の復興に尽力し、貢献して来た父である。
そういう時代だったのだ、と言えばそれまでだが、父の生き方の中に僕は「“自分が何をしたいか”ではなく“どれだけ人のために生きられるか”」「頼まれごとにどれだけ応えて生きて行くか」という姿勢を感じていた。
文句一つ言わずに、目の前の運命を受け入れて、ボク達5人の兄弟にひたすら背中で語ってきた父。
この大いなる「態度価値」が、ボクが父を尊敬する所以なんだ。
「“自分が何をしたいか”ではなく“どれだけ人のために生きられるか”」
「頼まれごとにどれだけ応えて生きて行くか」
そういう生き方もある。
このごろの就職活動では「自分探し」とか「自分のやりたいことを探す」という言い方をよくする。
自分をよく理解して、やりたいことをやっていくことが成功の条件である。
そうとも限らないよね。
この偉大な父に、きっと一生追いつけないのだろう。
父に「本当は何をしたかったの」という質問はもう封印した。
【少人数制ビジネスセミナー:好評開催中】


| ホーム |
Comments
Thank you for your comments!